日本の首相よ、英語よりジョークを言え! |
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日本の首相よ、英語よりジョークを言え! 一緒に笑うことができるか、できないかは本質的なコミュニケーションの分水嶺watershedです。よく女のコが理想の男性に「価値観の合う人」をあげることとまったく同じです。外交であろうと、国際交流であろうと価値観の一致、もっと具体的に言えば笑いの一致というのは、まさにコミュニケーションの要、文化交流cultural exchangeの原点なのです。 よく「言葉は道具に過ぎない」などと言われますが、意志の疎通にとっていちばん大切なものは、その言葉を使う人間のもつ発想や感じ方です。文法grammarのような言葉の形式ではありません。その言葉を使う人間の発想や感じ方(考え方)、言葉の精神ともいうべき文化が、その言葉の歴史を形づくり、体系をなしていくんです。文化の1つであるジョークは、言葉を使う側の発想そのものですから、英語の仕組みstructureがわかる第一歩がジョークなんです。 日本語をちゃんと話せる外国人は、例外なく日本語のギャグgagを理解できますし、日本的ギャグも飛ばせます。あなたも英語のジョークがわかるようになれば、英語がかなり使えるようになります。言葉の学習は発想や感じ方から入るのがいちばん。形式だけで機械的に言葉を翻訳translateするとそうはいきません。 形式だけでそれをやろうとすると、アメリカン・ホームドラマの吹き替え版dubbingみたいになります。笑うに笑えないギャグ、あまりピンとこないオチ punch line。結果、欧米流ユーモアは残念ながら、言葉の精神を共有できない日本人にはあまり理解されないところとなるわけです。 悲しいかなこれが、サミットsummit-talkなど外交の桧(ひのき)舞台(ぶたい)においても欧米先進国との距離となって現れます。日本人と欧米人は笑いのツボが根本的に違うんです。だから親密さにおいて置いてきぼりをくらっちゃう。 G7やサミットで日本の大臣たちはいつも寂しげに見えます。かつてのロン・ヤス(中曽根・レーガン)関係やビル・ヨシ(森・クリントン)関係もどの程度のものだったか、じつに興味深いところであります。 よく、日本の首脳は英語ができないからダメだという批判を聞きますが、英語力以前にユーモア文化を共有できるかどうかが、明暗を分かつ分水嶺だとボクは思います。外務省が外遊大臣向けにジョーク・レッスンを施さないかぎり、日本は親密外交において仲間はずれにされ続けるものと思われます。日本の外務省は、ジェイ・レノやデイヴ・レターマンのようなジョーク・ライターを雇うべきですね。 おまけに日本の歴代総理はジョークのやりとりどころか、自分自身がジョークのネタになってしまうことが多いようで、いまだにアメリカではシニア・ブッシュ(パパ大統領)が宮沢元総理の膝にゲロを吐いたときのことや、森前総理とクリントンの会話「This is my wife.(私の妻です)Me too.(ぼくもです)」がブラックユーモアとして語り継がれています。 その一方で、吉田茂のようなジョーク上手な政治家もかつて日本にはいたようで、講和直前の彼とマッカーサーのやりとりは歴史に残るものだと思います。占領下の日本occupied Japan、吉田首相はGHQ(総司令部)へマッカーサーを訪ねて、講和の条件についてディベートdebateしていました。帰り際、吉田はマッカーサーに向かっていきなり、「ところで元帥、わしゃかねがね知りたかったんじゃが、GHQってどういう意味なのかね?」と聞いたのです。 もちろんマッカーサーは絶句、側近があわてて、「閣下、それはGeneral Headquartersの略でございます」と答えると、すかさず吉田は、「なぁーんじゃ、わしゃ、またGo home quickly!(早く国帰れ!)の略かと思ったワイ」。マッカーサーはこれを聞いてほくそえみました。その後、占領軍は撤退し、日本が独立independenceを勝ちとったことは歴史の指し示すとおりです。
・日本語の呪縛から脱出せよ! ・どうしたら英語ができるようになりますか? |
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ケビンのトンデモ英語デリート辞典 |
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