言霊プログラムの発展 |
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言霊プログラムの発展 最初の外国語である中国語が流入した5〜6世紀ごろ、宇多田ヒカル(歌手)や津田梅子(津田塾創立者)のような倭語&中国語バイリンギャル(まあ、この時代はむしろバイリンボーイの方かもしれませんが)はけっこういたはずです。でも、中国語は次第に訓読み・重箱・湯桶読みなど混合体へとカスタマイズcustomizeされ、平仮名&片仮名が空白を埋め尽くし、音声的にも意味的にも原語とは似ても似つかないものへと変貌していきました。 言霊プログラムは中国語をカスタマイズ&ローカライズlocalizeしつくし、中国語バイリンガルが活躍する場面を奪い去っちゃったわけです。 このまったく同じ現象が西洋言語にも起こります。ポルトガル語・スペイン語が南蛮文化として中国を介さずに到来したとき、それらの異質な言語を表記するのに日本人は困りはてました。アルファベットはみんな読めませんから、音写するしかない。そこで漢字をあててみたり、平仮名や片仮名を使ってみたり、いろいろやってみます。江戸中期の新井白石あたりからオランダ語に片仮名をあてるようになりますが、それでもオランダ人ヤン・ヨーステンは八重洲と表記し、所領を与えられたイギリス人ウィリアム・アダムズは三浦按針などと呼ばれていました。 明治後期に入り、「カタカナ=西洋言語」(以後、片仮名はカタカナ)という定式を手にした日本人は中国語に対してしてきた仕打ちとまったく同じことを、ヨーロッパ言語にもやってのけます。西洋言語の訓読み的発想や万葉仮名感覚は、いまでもいたるところに見受けられますね。例えば、「プチ整形」はフランス語と中国語の組み合わせ、「プチノイローゼ」はフランス語とドイツ語、「プチ家出」はもちろん日本語とのコンビです。例えば博多ドンタクのドンタクZontagはオランダ語で日曜日という意味です。これに半分の半をくっつけると「半ドン」という「半休みにする」意味になります。 日韓ワールドカップのトルコ戦の際、「半ドン」にする、しないが盛んに議論されました。でも「半ドン」はオランダ人にゼッタイに通じない日本固有の表現です。質屋を七とひっかけて「セブン」と呼んでみたり、お金moneyから頭をとってMと称したりする様は坪内逍遥の『当世書生気質』にも出てきます。これらはついぞこの間まで流行っていたギャル語「チョベリバ」(超very bad)や「MMK5」(マジムカツク切れる寸前五秒前)、「ホワイトキック」(しらけるwhite kick)、「小田クイック」(小田急線)、「山ハンド」(山の手線)などにも通じてくるわけですね。これぞまさしく言霊プログラムの成果、倭語の呪縛なんです。
・日本語の呪縛から脱出せよ! ・どうしたら英語ができるようになりますか? |
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ケビンのトンデモ英語デリート辞典 |
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